テーラー職人
[1]サロン・リニューアルオープン
先月末にサロンの改装工事を終え、3月3日にお陰様で無事リニューアル・オープンの運びとなりました。皆様から沢山のお祝いを頂戴し、お披露目イベントにもお運び頂いております。
この場をお借りして、心より御礼申し上げます。
新装サロンは、「懐かしい空間」を目指しました。
ホッと一息ついて寛ぎ、次へ向かえる
茶室のような場所にしたいと考えています。
心地よい場所として集って頂き、
アタマの中の整理をしたり、
ただ静かにお茶を飲んだり、
時々
会合に何を着ていけばいいか相談しようか…
洋服でも作ろうか…
と思って頂く空間。
洋服屋であること忘れておいで頂けましたら、嬉しいです。
[2]テーラー職人「仕事の流儀」
さて、私にとっての「懐かしい空間」について少しお話しさせてください。
私にとっての「懐かしい空間」は、生まれた時から中学生くらいまで慣れ親しんだ
テーラー職人さんとの空間です。
当時(昭和30年代〜40年代後半)、私は、多くの住み込みの職人さんと寝食を共に育ちました。
遊び場は、テーラー職人さん達が働く工房でした。
新装サロンの玄関にも、テーラー職人さんの働く写真を飾っています。
そこに写る蒸気アイロンは、以前からサロンの窓際に鎮座していたアイロンそのものです。
足の上に落としたら、足が潰れるほどの重量のアイロン
仕立て前のスーツ地を「地のし」する、重さで一気にしわを伸ばすテーラー職人さんになくてはならないアイロン。
そのほか、「なで肩計測器」や足踏みミシンも相変わらずサロンの顔になってもらっています。
どれも私にとって、子供時代に仲良くしてくれたテーラー職人さんを思い出させてくれる「懐かしい」もの達です。
個人のノスタルジーを押しつけようというわけではありません。
とは言え、
「ヘェ〜こんなものを使ってたんだ〜」
と、テーラー職人さんの仕事をイメージして頂くきっかけにして頂けたら、嬉しいです。
私は、職人さんが大好きです。
自分は職人ではなく、一介のマーチャントです。
その立場から職人さんの仕事を守ることをしたいと思っています。
思えば、赤ん坊の頃からテーラー職人さんの仕事を見続けてきました。
ゆったりと談笑しながら手縫いしている姿
リズミカルに印付けする姿
超特急でミシンをかける姿
厳しい目で裁断する姿
息を詰めて細部にアイロンをかける姿
高級紳士服地の端切れやボタンで糸まみれになって遊びながら
職人さんの仕事ぶりを見て
仕事の厳しさや、仕事への姿勢、仕上げの厳格さや美しさを吸収しました。
このことは、大きな人生の学びとなったと感じています。
ここまでやったからいいや
仕上げは明日にしよう
もう疲れた
と思った時に、テーラー職人さん達の働く姿が蘇ります。
「やり切ることが当たり前」
テーラー職人に限らず、普遍的な仕事の流儀ではないでしょうか。
ぬるい仕事はしない
職人の仕事ぶりを私なりに一言で表すと、こんな言葉になります。
[3]洋服とテーラー職人の歴史(参考文献「日本洋服史」株式会社 洋装社)
日本のテーラーの歴史は、独特です。
異国から学んだのではなく、日本の職人達が開発したのがはじまりです。
開発は幕末でしたが、そこに至るまでの洋服の歴史も大まかにご紹介させてください。
名前も、「南蛮服(なんばんふく)」「紅毛服(こうもうふく)」を経て「洋服」と呼ばれるようになりました。
1. 南蛮服と言われた時代
この時代に洋服が伝来しました。
弊社HP http://www.shyukawaguchi.com/history.html 「洋服歴史館」より
2. 紅毛服と呼ばれた時代
弊社HP http://www.shyukawaguchi.com/history.html 「洋服歴史館」より
3. 洋服と呼ばれるようになった時代
弊社HP http://www.shyukawaguchi.com/history.html 「洋服歴史館」より
4. 日本人による初めての洋服縫製
弊社HP http://www.shyukawaguchi.com/history.html 「洋服歴史館」より
5. 近世ヨーロッパにおける紳士服の変遷
弊社HP http://www.shyukawaguchi.com/history.html 「洋服歴史館」より
6. 明治初頭のテーラー職人
- 厳しい丁稚奉公;技術を手取り足取り指導される事はなく、先輩・同僚への質問も禁止。ひたすら親方や先輩の仕事ぶりを見て自分で工夫し、自己研鑽。
- 奉公の期間は12〜19歳;十二、三歳で上京し最初の一年程は、下駄もはかされず素足で、工場の掃除、アイロンの炭火おこし、使い走りだけの毎日。その後しばらくの間、基本的な仕事(道具の扱い方や、運針など)を習い、7年で年季明けとなった。
- 給金と年季明け;丁稚の間の小遣いは、毎月一日と十五日に五銭ずつの月十銭。年季明けに主人から、羽織着物一式と二、三円の小遣いがもらえた。
こうした歴史から、日本のテーラー職人は「平面から立体を作り上げる和服の縫製」から独特な技術を発達させたことがわかります。
明治初頭の職人が過酷な修行により身につけた技術は、後世驚くほど精巧な手技へと発展を遂げました。
手かがりによるひと針も違わぬステッチで仕上げるボタンホールなどは、その顕著な例ではないかと思います。
[4]テーラー職人だけじゃない日本国職人の危機
職人であった祖父と祖父の元に集ったテーラー職人の方々。職人さんに深く愛着と尊敬の念を持ち続けることが、私らしく在ることだと感じています。職人さんには、これからもずっと仕事を続けて欲しい。
しかしながら、衆知の通り日本の職人さんは危機的状況にあります。
高いものは買えない
安く手に入れることに達成感を感じる
次々に使い捨てて清潔なものを使いたい
どうせ流行は変わる
手っ取り早く欲しい
時間をかけて技術の粋を尽くしたものへの価値が軽く扱われ、廃業する職人さんが後を絶ちません。技術が消えて無くなった日本のことを思うと、悔やんでも悔やみきれません。
それでも、近年やっと匠の技を見直そうという人も出てきました。どんなにわずかでもここは、大切にしたいと思っています。
テーラー職人さんの歴史を未来へつなぐ
日本の職人文化を守る
ここに賛同してくださる方
是非、弊社サロンへお立ち寄りください。